国立成功大学(台湾南部・台南市)の蘇慧貞校長は昨年10月、東海大学(台湾中部・台中市)のティモシー・マックブッシュ・ヒエール(Timothy McBush Hiele)助理教授(Assistant Professor)から、成功大を2014年に卒業したソロモン諸島の留学生、ポール・ボサワイ・ポポラ(Paul Bosawai Popora)さんが2017年に第二次世界大戦の激戦地、ガダルカナル島に島で初めての診療所を構えたことを知らせるメールを受け取った。ソロモン諸島は南太平洋のメラネシアにある中華民国(台湾)の正式な国交樹立国。
蘇校長はこのメールを受け、医学部を通じ、同大で10年間苦学したソロモン諸島のポポラさんに連絡、近況が分かった。ガダルカナル島で診療所を開いたポポラさんは、さらに診療室、外科、産婦人科、小児科、救急処置室と病室5室を備えたより専門性の高い病院にするのが夢だという。
ポポラさんの留学の道のりは険しいものだったという。2003年に政府の奨学金でパプアニューギニアで医学を学び始めたものの、1年を待たずして経済上の理由で退学を余儀なくされた。2年目に台湾からの奨学金を受け、勉学を続けることになった。台湾に到着してからというもの、まずは世界でも難しいとされる中国語の壁にぶつかることとなった。ポポラさんによれば、中国語は難解な古書を読み解くようなものだった。
8カ月をかけて語学を学び、2005年に成功大学医学部医学科に入学、1年目の勉強は困難を極め、どうやって努力しても追いつかないと感じたという。そこで、当時の学部長、宋瑞珍教授に手紙を書き「あきらめて故郷に帰りたい」と率直に心情を伝えた。宋教授は即座にポポラさんに会って「ここでやらなければならない唯一のことは、あきらめないこと」と語りかけたという。
だが、大学4年のとき、台湾が提供する奨学金の支給期間が満了し、再び退学を迫られる。ポポラさんがちょうど寮で荷物をまとめていると、ソロモン諸島の駐台大使からの電話で、ポポラさんの困難を知り、さらに2年の奨学金を確保したと告げられた。さらに、ソロモン諸島の「ガダルカナル平原アブラヤシ会社(Guadalcanal Plains Palm Oil Limited:GPPOL)」から、卒業後に同社診療所で勤務することを条件に奨学金提供の申し出があり、ついに2014年に学業を修めることができた。
2014年7月に成功大医学部を卒業後、8月に帰国してGPPOL診療所で働き始めた。ソロモン諸島の医療は遅れているため、この診療所は地元の人々にも無償で医療を提供する。ポポラさんはその中で唯一の医者として、あらゆる患者を診察し、月平均2,500人を診たという。
成功大附属病院でインターンをしていたとき、台湾のボランティア文化に触れたポポラさんは、ソロモン諸島でボランティアサービスを呼び掛ける。自身の給与の半分を地域発展計画基金に寄付したのに加え、ボランティア診療や、毎週数学を教えに出向いて地元の学生の高校進学を手助けするなどした。ポポラさんは機会があれば母校の成功大に戻って外科を学びたいと考えている。「私はいつまでも成功大のソロモン諸島大使であることを忘れないで欲しい」と語る。